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千束通り商店街へようこそ!

江戸時代、浅草寺の北西部がほとんど田圃で、千束分の稲が収穫できるという意味で千束の地名となりました。
大正初期には千束田圃が埋め立てられ、昭和初期にはバスも通るようになりました。
遊廓・吉原への通い道として大いに賑わい、浅草十二階や公園六区の映画館、芝居小屋へ通う人々で毎日が縁日のようでした。
公園六区~橋場・今戸をつなぐ主要幹線道路になり、現在は「奥浅草」と呼ばれ、古き良き浅草を知る浅草通に親しまれています。

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